留学から帰国後、就活キモすぎ!日本の会社キモ!と思っていたあの頃の私へ
こんにちは、エリカです。
GWも最終日、GWの後のいわゆる「五月病」についてぼんやり考えていました。
仕事嫌だなぁ、学校嫌だなぁ、って思う人どれだけいるんだろう。
私が一番きつかった時期っていつ?!と思い起こしていて、ふと思い出しました。
留学から帰国して即!!始まってしまった就活&社会人1年目が一番辛かった。
高校受験や大学受験、また人間関係で不快な思いをするとは別の、とてつもなく気持ち悪く不快で、どうしようもないストレスと吐き気を日々覚えていたことを思い出しました。
といっても、決して本当に吐いていたわけではないんですが‥
当時の私が就活、社会人1年目に一体何をキモいと感じていたかというと、
- みんな同じ格好
- 同じ髪型・髪色
- 似たような模範回答
- YESマンな社会
今思っても確かに不気味です。
海外の就活と比べると、より不気味です。
「就活狂想曲」という2013年にめちゃくちゃ流行った曲です。
2012年に社会人になった私は、晴れてみんなが名前を聞いてすぐわかる一部上場企業になんとか滑り込み入社を果たしました。
表向きは「グローバルな会社」をうたっていましたが、国内企業だったので社内は「バリバリの日系企業」でした。
おまけに結構な派閥とかもあって、社会人1年目は本当に辛かった。
境遇を分かり合える同期がいた事だけが、唯一の救いでした。
鬱にはなりませんでしたが、鬱になっていた同期も数名いました。
めちゃくちゃ体育会系で、先輩が言う事が全て!という、入社前は想像もつかない企業でした。
それでも福利厚生はとてもよく、外からみれば「いい会社」にみえましたし、親も親戚も入社してとても喜んでくれました。
初めてのお給料で、お母さんとおじいちゃんおばあちゃんにお寿司奢ってあげれたのは良かったかなとも思います。(これ今思い出した)
そして、この「就活狂想曲」が流行っていた2013年、私はまさにその戦闘真っ只中の社会人1年目だった訳です。
この映像をみて「やっぱキモい社会やわ」「会社辞めてーー」と心から思っていました。
おまけに上京し、慣れない一人暮らし。
一人暮らしに関しては、長期留学でそれなりに練習ができたので良かったですが。
会社では、仕事中はぜっっったいに、泣かん!!と決めていたものの、家に帰っては一人シクシク泣く日も多々ありました。
私は今、大学を卒業してから7年が経ちます。
もうすっかりアラサーかと思うと、時の流れについていけませんが。
まぁそれはいいとして、それなりに社会経験も積み後輩もできて、先輩の気持ちも後輩の気持ちもわかる。
ネガティブに言えば、板挾みな年代。
ポジティブに言えば、中立的年代で先輩に怒られる事はもうほとんどないしある程度認めてくれるようになった年代。(先輩の目は入社1〜2年目の後輩へうつったらしい)
実際、後輩ができて相談を受けたりもします。
もう1〜2年目に許されていた「わかりません」「しりません」では通用しないのも確かです。
そんな私が今思うこと、就活当時に「就活キモすぎ!社会きもすぎ!」って思っていた自分へ伝えたいことは‥
無駄だと思ってもその気持ちを抑えて、絶対に乗り越えるべき。
ということ。
ありふれた言葉ですが、レベルアップできます。
良かったと思ったことを振り返ってみました。
キモい就活の経験 →
- 就活を通して、日本人として日本社会の縮図をよく見ることができた。
- 「日本はこんなところがダメ」とか経験したこともないくせに偉そうなことを言っていた自分が恥ずかしくなった。経験した人を見る目が変わった。
日本の会社で社会人を経験して →
- 先輩に怒られまくり、多少のことではへこたれない鋼の心をもった。
- 辛い人の気持ちがわかるようになった。
- 同じ悩みを持つ人の相談にのれるようになった。
- 無駄だと思うことから自分なりの「意味」を見つけられるようになった。
- 良い意味で「肩の力を抜く」ことを学んだ。
- 物事を客観視できるようになった。
- 効率よくこなすことを学んだ。
- 経験してからものを言うということの大切さを学んだ。
- 日本人の「空気を読む」とか「思いやる」とかわかっていたはずでも、十分に理解できていなかったと学んだ。
- 視野が広くなった。
- 日本の会社を経験したことで、外資系企業からもオファーが来た。
まだあるかもしれないですが、今ざっと振り返り感じたことはこのようなことです。
その時々の点をどうやって線に繋げるのか、全ては自分次第なんだなと心から感じます。
まだまだ、社会とは格闘中の私ですが、、
程良く力を抜いて頑張ります。